無料ブログ作成サービス JUGEM
←prev entry Top next entry→
青函

 函館港に係留されている「摩周丸」が17年振りにタグボートに引かれ函館ドッグへ入いりました。

修繕工事と船体塗装が大きな目的と聞きますが、函館西部地域の八幡坂から見える景色に物足りなさを感じるのは、私だけではないはずです。

やはり、青函の歴史を伝えるのは今も昔も連絡船です。

青森港には「八甲田丸」が係留されています。

 

 

 

 青函連絡船として活躍していた客船は「大雪丸」「津軽丸」「羊蹄丸」「摩周丸」「十和田丸」「八甲田丸」の六隻と記憶しています。

たまたま私の父が「大雪丸」の乗組員でしたので、昔の四本マストの大雪丸には夏休みや冬休み、父について行って二泊三日

青函を何回も往復した記憶があります。

当時はそのようなことが可能な長閑な時代でした。

夏はともかく、冬の津軽海峡は沈没するのではないかと思わせる時化を何回も経験しました。

当時は、今と違って多少の嵐でも運航していました。津軽海峡に入ると突然揺れ始め何度も吐いた記憶があります。

函館青森間4時間半くらいかかったと思っていますが、入港して出港するまで四時間以上あったと記憶しています。

良く父に連れられ青森のリンゴ市場についていきました。

先に挙げた六隻の船は新造船でしたが、父が働いていた船は煙突が4本あった船でした。

その頃も「摩周丸」や「羊蹄丸」という名の船は存在していました。洞爺丸も同じ形の客船でしたが、台風で未曾有の沈没事故を

おこし、多くの死者を出しました。

以来、新造船は貨車が入った後、蓋が閉まる構造になったのを覚えています。

 

 

 

 また、私が高校を卒業して北海道を離れるとき青函連絡船でした。

乗船した船は「羊蹄丸」で、青森に着いて上野に行き、上野から寝台特急鹿児島行きに乗り、宮崎県の延岡で下車しました。

確か「富士」という名の寝台特急と記憶していますが、延岡まで14時間くらい時間を要したような記憶があります。

その延岡で研修を二週間受け、それぞれの地に赴任してゆきましたが、私の配属が研究所だったため三交代勤務が無いので三交代の勤務経験をさせられ延岡にさらに二週間ほど滞在したことを覚えています。

三交代勤務はやはり23時位に出勤する勤務が一番辛かった思いがあります。また、勤務先がベンベルグ工場であったため、アンモニア臭には閉口しました。

ただ、そのお陰で宮崎見物ができました。鬼の洗濯板や堀切峠など思い出します。

その、連絡船も、寝台特急も廃止され今では新幹線で函館から鹿児島まで鉄路で約11時間で着くような時代になりました。

本当に技術の進歩には目を見張るものがあります。

 

 

 

 技術には目を見張るのですが、今の政界は目を覆いたくなることばかりです。

法は順守しないで捻じ曲げる、公文書は廃棄する、記録は抹消する、日付のない文章が存在する、新型ウイルス対策はすべて後手など目を覆いたくなります。

今国会で沢山の重要案件が存在するのに、こうした問題ばかりが取り上げられ肝心の案件はどうなるのでしょうか。

疑惑解明国会ではなく、別な所で別な時間を設けてきちんとした国会運営をするべきです。最も、別な時間を設けて議論したら逃げようがありません。

もう誤魔化されません!国民はそんなに馬鹿ではありません!

 

 

| karyuhokki | 日記 | - | - |
スポンサーサイト
| スポンサードリンク | - | - | - |